お疲れ様です、しまなぶです。

昨冬行われた、れいわ東北勉強会の内容を、数回に分け、おさらいする記事を書いていきます。

第1回目は、『正しい国家観』。

国家観とは何か。

一言で言ってしまえば、共同体意識を持つ、ということです。

共同体意識とは「人はひとりでは生きていけない。必ずどこかの共同体に所属し、お互い助け合いながら生きている」ということです。

例えば、買い物に行ったとき、ものを買うには、レジを操作してくれる店員さんや、ものを仕入れてくれる店の従業員、ものを運搬してくれる配送業者、ものを作ってくれる製造業者、原材料を作ってくれる生産者、など、多くの人が関わっています。
国家観1

共同体とは、家族や職場、町内会、市区町村、都道府県、日本などのような、人が複数人で構成されている集合体です。
国家観2

この意識が無いと、努力が足りないとか、生まれ育った環境が違うとか、自己責任論に達します。
その結果、人を見下し、自己利益に目が向き、「今だけ金だけ自分だけ」の新自由主義へ発展してしまいます。
国家観3

次に、共同体意識を持つために意識すること。
共同体意識は、縦軸と横軸を用いると理解しやすいです。
まず、中心に自分自身を置きます。
横軸は、現代に生きる人すべてです。
縦軸は、過去から未来の時間です。
国家観4

現在は、横の繋がりであり、共助に値します。
町内会や職場、近所のスーパー、役場など、自分が生きていく上で、必ず助けてもらう人々です。
よく「日本は駄目だから海外に移り住む」と言いますが、海外に行くには、役場や空港などの人々のお世話になるので、一人で生きていくことなど、決して出来ないのです。

そして、現在は、過去の人々が作り上げたものです。
自分も祖先がいなければ存在していません。
両親も過去に縦横の繋がりがあって、自分を生み育ててくれました。
未来の子供たちも、自分や横の繋がりの人々が生み育てていくのです。
その子供たちへ、現在の自分たちが出来ることをしていくのが「生きる」ことです。

国家観(共同体意識)が破壊されると、
  ・自分さえ良ければ良い
  ・その人が苦労しているのは努力が足りないから
  ・うちは代々裕福な家系だから、貧しいのは家のせい
などの自己責任論になります。

先述の通り、人はひとりでは生きていけないので、他者を切り捨てることは自己を切り捨てることになります。
逆を言えば、人を助けることは、自分を助けることになります。

これが『正しい国家観』です。

※そもそも自己責任とは、或る保証された制約があり、それを超えた場合のことです。
 「自業自得」と「自己責任」を混同してはいけないです。

もっと恐ろしいのは、マスコミのプロパガンダ(特定の思想により、個人や集団の行動や意識を、意図的に仕向けること)により、救うべき人を救えなくなることです。
国家観5

生活保護受給者や路上生活者などの弱い立場の人々を追いやり、自殺に追い込んでしまったり、人を妬んだり恨んだりし、人をあやめたり物を奪ったり、庶民同士の略奪の事故・事件に繋がってしまうので、国家観を正しく維持することは、自分や家族、周りの人々を守ることでもあります。

以上、『正しい国家観』についてでした。

ご意見、ご感想、疑問や質問など、お気軽にどうぞ。

written by しまなぶ